本作は当初、仁科熊彦監督が撮るはずだったが、仁科監督が雲隠れしてしまい、やむなく山中貞雄が監督することとなった。監督デビュー作『磯の源太・抱寝の長脇差』、第二作『小判しぐれ』が興行的に振るわず、寛プロとしても注力した超大作だったが、山中としては自ら望んでの監督ではなく、乗り気ではなかった。 嵐寛寿郎もプロを挙げて大掛かりな宣伝を行い、「寛プロ全力投球」と称して主題歌の募集まで行った。しかし興行的には大失敗、初日の第一回で観客はわずか五人という惨敗で、あまりの不入りに上映を打ち切る館が続出。映画誌からも「失敗作」と酷評され、4日で興行打ち切りとなった。 アラカン自身は「作品の出来、これは最高に良かった、失敗作やとゆう人もおるが、興行価値は十分あるシャシンでした」、「結局むつかしいシャシンや。芸術大作やという印象でんな、つまり客が入らんように宣伝したんだ...
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