愛染かつらの樹の下で愛を誓い合った津村浩三と高石かつ枝は、相互にその愛を深めていったが、歌手になったかつ枝は多忙をきわめ浩三は一日でも早く両親に結婚の承諾を得ようと、かつ枝に同意を求めた。が、かつ枝はレコード会社の岡村への義理もあり、すぐ歌手をやめるわけにもいかなかった。一方、浩三の父津村博士の病院が思わしくなく閉鎖寸前だった。そこで医学界の大御所中田博士は、娘の未知子と浩三の結婚を前提とし経済援助を約し、浩三の母、叔父も大乗気だった。突然、津村の急死により浩三は院長に就任し、中田の息子正弘が事務長になった。そしてことごとく浩三と意見が対立した。困惑した浩三はしばらく病院を離れ北海道で診療所を開いている友人の渡辺の所で働く決心をした。それを電話で知ったかつ枝はマネージャーを振り切って嵐の東京空港へ急いだ。が、かつ枝が空港に着いた時、飛行機は飛びたっていた。ある日、未知子は北海道に浩三を訪れ、切々たる思慕の情を訴えたが浩三の心の扉は開かれなかった。その翌日、はるばるかつ枝が診療所を訪ねると浩三はいなく甲斐甲斐しく手伝う未知子の姿があった。かつ枝は愕然とした。未知子はインチキ週刊誌のかつ枝のスキャンダル記事を示し、浩三の心は貴女から去ったと笑った。その時、かつ枝の子供敏子の行方不明を知らせる電報が届いた。かつ枝は未知子の存在を気にしながら帰京せざるを得なかった。帰宅してみると敏子は無事たった。津村病院では、佐藤婦長の馘首問題を機に、正弘の退陣、婦長の復職、浩三の復帰など職員大会が開かれていた。正弘は退陣した。折りしも開かれた歌謡大会の席には、浩三や服部、看護婦達の姿が見られた。かつ枝は母として生きて行くために今日限り引退すると言い、心をこめて“母の子守唄”を歌い始めたが、突然昏倒してしまった。幸いかつ枝はすぐに恢復した。浩三の復帰によって病院は久しぶりに明るさを取り戻した。服部は浩三に新しい看護婦を紹介した。それはかつ枝であった。
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