時は--灘の生一本が一升二円也の昭和十四、五年のことである。洋画壇の大家、瓢人先生は奇行奇癖を持って六十年の年月を、ただ酒を好伴りょとして暮らしてきた。数十名の門下生は天才、鈍才多士済々である。田西麦太の絵は先生に認められずその秋の帝展に十四回目の落選を宣告された。麦太は悲観するよりも、モデルになってくれた青貝美砂子に対する済まない気持ちで胸が一杯だった。だが、彼女は「また来年よ」と麦太を励ますのだ。南原は俊才として特選画家となったが、なぜか彼は自己けん悪に陥入りデカタンになって不貞くされていた。彼は鈍才といわれる麦太が怖ろしいのである。ある時、瓢人先生がすし徳で常連と楽しく語り、家に帰ると田西麦太が待っていた。「青貝美砂子と結婚したいから仲人になってくれ」という。瓢人先生はじっと麦太を見つめていたが冷たく「女と一緒になるなら破門する」と答えた。麦太は奮激して「破門する先生はばかだ」といって飛び出した。だが瓢人先生は彼を見捨てなかった。親友の龍巻博士に無理に仲人を頼んで二人を夫婦にしてやった。一方、変わり者のすし徳の親父は何を思ったか、秋の帝展を目指し、瓢人まがいの絵を書き、酒を飲んでは家産を傾け、女房を困らせている。自棄になった南原は瓢人の絵を盗んでは遊とう三まいにふけり、やっと、愛の巣を得た田西は貧しいながらも生活を楽しんでいた。こんなふんいきの中で瓢人先生は相変わらずひょう逸な人生を続けていた。美砂子を画いていた麦田は彼女の顔が変わったことに気がついた。にんしんしたのだ。ところが、産後の肥立ちが悪く美砂子は麦太の手を握り「立派な画を……」といって死んで行った。瓢人先生は赤ン坊の産衣に画いてやった自筆の絵を見つめていたが、その眼に一條の涙が光った。だが、瓢人先生も、田西も、崇高な美砂子の死の表情を見逃さなかった。十五回目に入選した亡き美砂子の肖像しかも特選になった田西の絵の不思議な魅力の前に南原は泣きふせた。
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